旅するよりもよりもしたいこと
- 4 分で読めます - 1749 文字主を愛するという楽しみ
旅が好きという人はこの世の中にたくさんいます. 私も,自分は旅が好きなんだと思って,色々と日本全国を旅する人々の発信する情報を集めたり, 自分も実際にいくつか旅を計画して,旅をしたこともありました.
思い返せば, 私の両親は定期的に私を旅行に連れ出してくれて, 日本中のいろんな場所に連れて行ってもらったことを今でもよく覚えています.
大人になった今,私は子供の頃より時間やお金に余裕のある生活ができるようになり, 自分で旅を計画して,旅をする事ができるようになりました.しかし,それでも, 子供の頃のようにたくさん旅をしたいかと聞かれれば,あまりそうは思いません.
なぜなら,旅をしてみて分かったのですが,私は旅があまり好きではなかったのです. これだけ聞けば,単に自分の趣味が思っていたものと違ったというだけのことなのでしょうが, 私の場合,単にそれだけということではありませんでした.
子供から大人になった今,私には,旅をすることよりも楽しいことを見出したからです. それは,私を愛してくださる方である私たちの神,主を愛して,主の願いの為に働くということです.
旅をする時,私は聖書を始め沢山の書籍と,筆箱と,コンピュータをどこにでも持っていきます. それは,私がどこに行っても,移動中でさえも主の御為に働き,一刻でも早く, 主の願っておられる通りに多くの人々の心と体を救う人間になりたいからです.
なぜそこまで勤勉に働きたいと願うかと言えば,そのように働くこと自体が恵みであり,楽しいことであるからです.
このことは,RAPTさんの御言葉に実際に聞き従って実践してみるまで決して分かってはいただけないことではあるのですが, そのように主の思いを抱き,そのように願ってあらゆる労苦ともがきをする時, 私は幸福を感じます.それは,その労苦ともがきを主がご覧になって,私の心を主の愛によって強め, 私の手の業が実るようにお力添えをしてくださる事がはっきりと感じられるからであり, また,そもそも私を愛してくださる方の為に働くということ自体が幸福であるからということでもありますが,
そのように主の御為に働くことによって得られる喜びと,働きによって自分に身に付く様々な実力という実りが, 旅をすることよりも喜ばしい収穫であるが故に,かつて楽しいと思っていた旅も,比較して楽しいと思えなくなってしまったのです.
先日も書いたのですが,私はもはや自分で自分を楽しませようと企んで色々計画し,それを実践するよりも, 日々できる限り多くの時間と労力を私の神,主の御為に捧げるという挑戦を毎日行い,その行いの中で自分が毎日成長し,発展していく事の喜びと楽しみの方が もはや私の中で大きくなってしまったのです.
もし,私がただ自分の為だけに働くならば,このように自分の全てを捧げんとまで働こうとはかけらも思う事ができなかったはずです. ところが,私をこの世の誰よりも愛してくださる方のためなら,その方との愛の関係を持続させるためなら,私は大いに労苦したいのです. 労苦すればする分だけ,大きな愛をいただけるからです.
のみならず,私が主の御為に働くならば,私が自分で旅を計画し,自分で自分に楽しみを与えようとせずとも, たまたま気が向いて出かけた先で美しい景色に感動できたり,美味しい食事に巡り会えたりと, 様々な楽しみが私をついてまわります.神様の愛を受けた上でこの世を生きるならば,何をしていても幸福だからです.
このように,私たちがRAPTさんの教えに従い,神様のために生きるようになると,もはや,自分で自分を楽しませることに無頓着になります. 聖書に書かれてあるように,神御自身が,私たちを顧みてくださるようになるからです.
思い煩いは,何もかも神にお任せしなさい.
神が,あなたがたのことを心にかけていてくださるからです.
ペトロの手紙 一 5:7
この喜びを,皆様にも味わっていただきたく,その為に働くのが,私たち,RAPTさんに従う民です.